On Occasion

Something to tell somebody, what he or she might be facing as bellow about kids’ education between JPN’S&USA’S:On Occasion=時に於いて

 今回、ウェブサイトを更新した背景にあるのは2021年から始まった共通テスト、および中高教科書改訂です。私個人としては戦後の英語教育史上、かつてないほどの激変に唖然としているのですが、私の周りはまるで何事もないかのように静かに見えます。
 もちろん、国際化という激しい波の中で、やむを得ない安倍政権の「置き土産」であったのかもしれませんが、少なくとも私にとっては浦賀に第二のペリーが現れたかのような、それくらいの衝撃でした。例えば、改訂後の中学校の教科書を見てみると、文法的には中学1年生から不定詞や過去分詞が、中学3年生中頃からは使役動詞等+原型不定詞、仮定法等が当たり前に登場します。中学校で学ぶ範囲を考えると、基本的に高校で残る文法は分詞構文くらいなものです。語彙が約2倍になったとは言え「giraffe(きりん)」に「zebra(シマウマ)」等がプラスされたようなレベルではないことがおわかりいただけるかと思います。個々の動詞、形容詞、そして副詞等のレベルがまったく違うと言っても過言ではありません。
 英語がすでにこのような状態であるのにもかかわらず、大学進学希望者に国公立約5教科7科目を闇雲に背負わせるのが、これまで通りの適切な選択と言えるのでしょうか?極端に優秀な生徒はともかく、ギリギリの状態で臨む生徒たちもいます。「勝てば官軍」とは言うものの、最悪の場合、それは「潰しが効かない」状態になってしまう可能性も十分あると思うのです。もちろん、それぞれのご家庭の事情もあるでしょう。ただ、工業高校や高専等の卒業生であっても英語を得意としていて、それこそASEANなどのフィールドで自動車製造関連・合成樹脂加工・金属加工等の機械・電気系のエンジニア等として立派に即戦力として仕事のできる人材達も数多く育っていると思います。それは弊塾の卒塾生も含めてです。
 かつてよりフランスの某哲学者たちが提唱してきた考え方のひとつに「リゾーム=地下茎」というものがあります。「リゾーム」とは「中心を持たず多方面に方向性を変えて延びていく状態」のことを指すのですが、個人的にはこの考え方が時代の主流になるように、あるいはすでにそうなっているように感じています。YouTuberやヒロユキ氏等もその一例と言えるでしょう。一昔前までの年功序列・終身雇用等といった仕組みは「会社は我が家である」という意識を我が国の人々に芽生えさせ、そして、それが日本経済の成長の原動力にもなってきたと思います。これは世界的にも類を見ない非常に「強固な構造」だった訳なのですが、それが今は完全に崩壊してしまい、個々人の幸福も含めて、様々なもののあり方というものが確実に変わってきたように思えます。それを象徴するのが「多様性(ダイバーシティ)=diversity」という言葉であろうと思います。
 我々は、多様化していく世の中で、学びや職業、働き方及び満足度などは、その折々において再々考するべきなのかもしれません。ましてや、その対象が「<我が息子>や<我が愛娘=あいこ>」であれば、なおさらの事と思います。
 だからこそ、弊塾は生徒ひとりひとりの個性・意見と根源的な各生徒の「個」あるいは「自我」と向き合い、その上で、「動機付け」、その「方向性」と共に定める「目標」に到達できるよう寄り添っていければ幸いと考えています。

NY Minning Disaster/1941 by Bee Gees

In the event of something happening to me, there is something I’d like you all to see.
It’s just a photograph of someone that I knew.

Have you seen my wife, Mr. Jones? Do you know what it’s like on the outside?

「俺に何かしら起こったことなんだが、皆さんに見ていただきたいものがあるんだ。それは、単に俺の知人だった方の写真なんだ……が。
ジョーンズさん、俺の細君を一目でも見たことがあるかい?外が一体どのような有様なのか知っているのかい?」

訳:義章 2024/1/2nd